日銀はインフレ誘導出来るか?

今回の日銀の政策について、市場の反応は好意的なものが多い。一時はリフレ的な主張をしていたエコノミストも、最近は実務を理解していわなくなった。日経新聞経済誌からリフレ派は追放され、残っているのは夕刊紙ぐらいのものだが、ウェブではいまだに素人談義が続いているので、テクニカルな面も含めてまとめておこう。

まず勝間和代氏のような「国債と引き替えに貨幣を発行し、その国債を日銀が引き受けて、市場に供給する」ことによってデフレから脱却できるという素朴リフレ論は誤りである。彼女は日銀の供給するマネタリーベースと市中に流通するマネーストックの区別がついていない。以前の記事でも説明したように、ゼロ金利では資金需要が飽和しているので、日銀が銀行の準備預金を増やしても、それが企業への貸し出しにまわらず、マネーストックは増えない。

そこで磯崎さんのいうように「こういう取引主体間の取引から考えてマネーストックは増えないという当たり前の説明に対して、リフレ派の人はどう反論してるんだろう?」という疑問が出てくるわけだが、これに対するリフレ派の答は、飯田泰之氏の次のようなものだ:
景気がよくなってもそうそう金利は引き上げない,インフレが発生していてもそれが加速するまでは金利は0のままにすることが「好況の早期引き締めは行わない」,「インフレをしばらく放置する」にあたります.
これは日銀がかつて実施した時間軸政策とほぼ同じだ。植田和男氏もいうようにその効果はあったが、それはインフレ予想というより長期金利の低下効果だった(*)。そのマクロ政策としての効果は限定的で、むしろ金融危機に陥っていた銀行の資金繰りを支援することで不良債権の最終処理を支援した効果が大きい、というのが白川総裁などの評価である。

植田氏もいうように、時間軸政策は将来のコミットメントに曖昧さを残していたので、目標とするインフレ率を明確に打ち出すなどの工夫の余地はあろうが、その効果は大きなものではない。現在でも10年物国債金利は1.2%で、それをゼロにしたところで、インフレ予想が起こるとは考えられない。

飯田氏は、こうした金融政策のコストはゼロだと思っているようだが、これも誤りである。グローバル化した経済では、一国だけが超低金利を続けることはできず、国際的な金利裁定が働いてキャリー取引が起こる。つまりリフレ派の期待しているような物価のインフレではなく、資産価格のバブルが(世界のどこかで)起こるのである。日銀の量的緩和アメリカの住宅バブルの一因となり、今回の欧米の超緩和は新興国のバブルを引き起こしつつある。

要するに、日銀がインフレ予想をコントロールできるという理論的根拠はなく、実際にも量的緩和の効果は限定的だった。インフレ目標を今より強く「2%」などと明示するぐらいはやってもいいだろうが、それを実現できる根拠がなく副作用も大きいので、「アコード」を法的に決めるべきではない。飯田氏のいうように「インフレ目標を実現できなければ日銀総裁をクビにする」という罰則を設けたら、なり手はいなくなるだろう。

本質的な問題は、自然利子率がマイナスになっている異常事態を是正することだ。その最大の原因は投資需要が減退していることなので、長期的な実体経済の見通しを改善しなければ、デフレは脱却できない。リフレ派は「構造改革を否定するものではない」というが、かつて彼らが「小泉改革清算主義だ」などと攻撃したのを忘れたのだろうか。彼らが有害なのは、長期の問題を無視して目の前の短期的な金融政策ばかり騒ぐバイアスがあるからだ。

経済問題を論じる場合にまず重要なのは、Mankiwも指摘するように、その原因が短期の需要不足か長期の自然水準の低下かを見定めることだ。もし後者であるならマクロ政策には意味がなく、前者であってもその原因がリアルな需要ショックであれば金融政策の効果はない。残念ながら、ここまで劣化した実体経済を改革しないで、金融政策だけで日本が救われる「フリーランチ」はないのである。

(*)経済学ではexpectationを「期待」と訳す習慣がある。この日本語には望ましいことを待つという意味があるが、英語にはそういうニュアンスはないので、ここでは中立的な「予想」と訳す。